ものしり


★高島扇骨★
  たかしませんこつ
 扇骨とは、扇子の骨の部分である。扇骨の製造は江戸時代、安曇川の堤防に生えている「真竹」を利用したことに始まる。最初は安曇川左岸の高島市新旭町新庄や太田で農閑期の仕事として零細的に作られていたが、明治になると同市安曇川町西万木の井保寿太郎は会社組織をつくり、本格的な近代産業へと発展させた。竹材の裁断から仕上げまでには、大体30工程に分かれ、安曇川町の西万木や青柳集落の空き地に幾何学模様にして並べられている扇骨は、白干しという工程にあたる。すべて分業で、完成された扇骨は、京都へ運ばれ絵付けされた地紙を貼って“京扇子”として全国に流通される。
 参考図書
  • あど川の文化と先人たち
  • 安曇川町史
  • まんが安曇川町の歴史
  • 目で見る湖西の100年
  • 湖国の地場産業
  • 滋賀の20世紀