ものしり


★追分の黒福橋★
  おいわけのくろふくばし
 現在の追分橋より約50m下流にかかる木製の橋で九里半街道の重要な橋のひとつであった。江戸時代には石田川の洪水によりたびたび流失した。この橋の維持や架け替えは宝永3年(1706)までは保坂と角川の両村が行い、その後は追分村が行うことになったが、小さな村では負担が大きかったため熊川の問屋や商人の協力を乞い願う勧進橋でもあった。
 参考図書
  • 今津町史 第2巻
  • 広報いまづ 平成11年3月号