![]() |
|
★渡 忠秋★ わたりただあき 高島市安曇川町南船木(南船木村)の渡太郎左衛門政舎の長男として生まれる。25歳のとき 京都に出て、“桂園派”の総帥・香川景樹に入門、和歌の本格的な研鑚をおこなう。のち景樹の 歌集『桂園一枝拾遺』を刊行するなど、厚い信頼を得る。また、右大臣三条実万に歌道でもって 仕えるが、明治7年(1874)前任の八田知紀の死去に伴い「宮内省雇歌道御用掛」に任命さ れる。明治10年(1877)には宮中御歌会始に一首を、翌年には宮中御歌会始に召歌を詠進 する。また、比叡山などの遺跡に歌碑を建立し、紀貫之や山部赤人の顕彰に尽力する。 |
![]()
|