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★松下圃丈★ まつしたほじょう この高島市でその蕉風選句ができたのは、この松下圃丈が最初であったといわれる。 圃丈の家系は、高島市安曇川町南船木にあった普門寺城の城主松下伯祐(近江源氏の分流) を初祖としたが、元亀の兵火で衰亡し、小浜藩主の庇護を受け存続してきた。三代伯仲の ときに武士を捨て、以来儒医を家学として仕えた。圃丈が俳諧を嗜んだのは、その伯仲の 影響が大きく、たまたま南船木に来遊した五老門三世祗山房に入門し、目ざましい進境を 示し次第に名をあげた。その業績は、西村燕々編「近江俳人列伝」にもとりわけ異彩を放つ。 中でも森川許六の百年忌に興行の本式俳諧で、一座五十余人の宗匠を務めたのがその最たる ものといえる。 |
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