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★西川藁園★ にしかわこうえん 文化10年(1813)、高島市安曇川町五番領(五番領村)の中村徳次郎の次男として生まれる。 天保3年(1832)20歳で、藁園村(新旭町)の医師西川玄禮に養子となり、翌年京に上り医学 を小林豊後介、奥常陸大檬らに学び、同時に漢学や文を牧百峰(頼山陽の高弟)に学び熟達する。そ の後帰郷し30年近く、産科専門の医業を開き親しまれる。その一方、私宅で近郷近在の子弟に漢学 を教授し、慶応元年(1865)大溝藩分部侯に藩儒として仕官。明治元年(1868)には藩校修 身堂の教授に、翌年には助教頭に任じられる。2年後廃藩のため藩校を退き、67歳で京都木屋町に 転居し漢学の教授を続けた。 |
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