ものしり先人たち-さ・た-10


★関藍梁★
  せきらんりょう
  高島市安曇川町青柳(東万木村)の庄屋、関八右衝門宗順の子として生まれる。 安政元年(1854)ペリー艦隊は9隻の大艦隊で江戸湾にあらわれたとき、日 本側交渉団の筆頭が林大学頭であり、藍梁は、林大学頭に従って応接の任にあたっ た。ペリー提督に従ってきた中国人羅森が七言律詩(漢詩)を作って講和を求め てきたとき、藍梁はそれに応えて七言律詩を作り応答した。膳所藩主に見聞した ことを話し、開港貿易のため、国産品を奨励することの必要性を説いて藩内に茶園を開 いた。文久2年(1862)江戸にて亡くなり、江戸下谷(東京都台東区龍泉) 西徳寺に葬られる。墓碑は林大学頭の撰文である。
 参考図書
  • あど川の文化と先人たち
  • 高島郡誌