★近藤重蔵★
こんどうじゅうぞう
寛政10年(1798)から文化4年(1807)の10年間に、クナシリ島、エトロフ島などの蝦夷地を探検し、探検後、幕府の紅葉山文庫の書物奉公に抜擢される。しかし幕府の要人と意見が合わず左遷され、さらに長男富蔵守真が起こした事件の監督不行届責任を問われ、大溝藩分部家にお預けの身となった。文政10年(1827)重蔵は江戸屋敷から高島へ護送されるが、当時の藩主であった分部光寧は重蔵を鄭重に遇し、重蔵もそれに応え、大溝藩士と親交を深め『江州本草』30巻を著し、文政12年(1829)59歳で生涯を終えた。 |

参考図書
- 図説高島町の歴史
- 北方探検の英雄近藤重蔵
- 高島の昔ばなし
- 広報たかしま縮刷版(旧高島町)
- 高島町史
- 北方探検(北の雷鳴 近藤重蔵の生涯)
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