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焼津水産史 上巻

ヤイズ スイサンシ 000100
予約数:0 貸出可能数:0 貸出件数:0
書誌詳細について
著者 焼津水産史編纂委員会/編
出版者 焼津:焼津魚仲買人水産加工業協同組合
1981年01月
件名
静岡県 水産業 歴史
焼津市
その他 【NDC1】S661 【NDC2】YZ661 【サイズ】22cm 【ページ数】4,777p
【価格】¥0 【件名】静岡県 水産業 歴史
注記 【著者】 焼津水産史編纂委員会/編
【内容細目】 年表及び索引,参考・引用史料・文献等について:p767~776
内容紹介 発刊にあたって、序、凡例、はじめに、序編、焼津と水産業のはじまり、第一章、古代から中世にかけての焼津海岸、一、天地茫々として歴史定かならざる頃、今日も人々の心に深く根ざす日本武尊の伝承、宮之腰遺跡などに見る古代人の生活、暖流が岸辺を洗い魚影豊かな焼津の海岸、万葉の歌”焼津辺にわが行きしかば・・・”、”咲く花の匂ふ”奈良朝を支える地方の租税、古くから工夫が重ねられてきた鰹の加工技術、二、中世の戦乱と駿河の民衆の生活、東海道が日本坂越えから宇津之谷越えに移る、街道から外れた焼津は歴史の圏外に置かれる、今川支が駿河国を統治し産業の振興をはかる、戦国の興亡を経て駿河は徳川氏の所領となる、治水に併せて志太平野の新田開発が進む、第二章、江戸時代の焼津海岸と水産業、一、次第に賑わい始めた海岸三ヶ村、戦国末期には焼津に二十五隻の鰹漁船が、漁家・商家相交わりて繁華なる土地なり、元禄年間に作られた堀川と焼津湊の海運、街道や駿府の繁栄の余恵が焼津海岸にも及ぶ、焼津で漁獲・製造された駿河名産”興津鯛”、江戸中期焼津産の鰹節を田中藩主が買上げる、二、焼津節の始まりと製造技術の発達、燻乾法を用いた鰹節の製法確立と紀州甚太郎、土佐節の優れた製造技術を伊豆に伝えた与市、江戸時代の焼津節製造法は概して粗雑なりき、寛政年間燻乾法による焼津鰹節を江戸へ出荷、相良を第二の故郷として製法を教えた初次郎、”志摩の初”なる男から土佐切り手法を学ぶ、焼津の粗節を伊豆の業者が買付けて仕上節に、土佐・薩摩・伊豆の三大名品が持つ特色、鰹を鮮魚のまま販売する事が出来た焼津、封建社会制度が水産業の発展を阻害、明治初年の鰹節製造量は六十軒で三百樽、三、浜での鮮魚買付けと天秤棒による販売、大半は鮮魚のまま蒲原-金谷間へ販売、府中と藤枝宿の魚問屋と焼津魚商人との関係、城之腰の海岸”御さい場”へ魚を水揚げ、沖売り・沖買いが浜の取引きを乱す、見取運上の廃止と水揚げ場所についての紛争、鰹船二十七隻が代官所の船艦札を受ける、四、災害の中で逞しく生きた海岸の人々、怒涛に浸蝕され年々後退を続けた海岸線、町を総なめにするほどな大火の連続、特有の風土の中に培われた焼津気質、第三章、動乱の幕末から明治の新時代へ、一、江戸後期の焼津海岸と水産業、物情騒然たる幕末の世相と
焼津海岸、御一新と先見の明ある一部の大商人、魚商人中には魚代金の支払い滞る者あり、鰹漁期の夏漁と春秋冬小漁の厳格な区分、仲買問屋制度と問屋付得意船の関係、代金完済の魚商人に対する奨励金制度の始め、二、四囲に響く”殖産興業”の足音、魚商人の連名帳を設け仲買問屋と契約を結ぶ、県知事に”道売り”を訴願し許可を得る、新時代の幕開けを告げる”殖産興業”の施策、大河に橋が架けられ東海道の整備が進む、海運の港として大いに繁盛した焼津、三、販路開拓に血の滲む苦心を重ねる、今日の想像を絶する販路拡大の苦心、したたり落ちる汗と膏で踏み固めた道路、漁船の改良と漁場の開拓にも懸命に努力、伊豆の魚も”買廻り船”で焼津港へ運ぶ、明治十二年の県統計書に見る当時の焼津、第一編、勃興期を迎えた焼津水産業、第一章、魚商団体の発足と”弁償法”の実施、一、一日四厘の日掛けを連帯保証金に、”あはや”で魚商団体の設立を決定、水産業発達の基礎を作りし功労を多とす、”約定書”と”議定書”に記された内容、魚商団体の設立に奔走した村松善八、二、貧しかった当時の人々の生活、当時の年間水揚げ額は魚商一人平均百円余り、豪農”えんか”さんと施米を受ける行列、魚商人の日掛け銭を預け入れた焼津銀行、不況で魚代金の支払いも滞りがちな時代背景、明治十八年の三カ村鰹節生産量は五百樽余り、焼津港から積み出した鰹節は年間一千二百樽、焼津港の移出入実績と修繕費の状況、三、積極的に活動を始めた魚商団体、弁償金の対象となる者ほとんど無し、道銭の割引きを交渉して静岡行商を振興、池谷街道を開いて利便をはかった池谷政一郎、二~三里先から鰹節製造用の水を担いで運ぶ、規約を整備し”弁償法”の充実をはかる、第二章、城之腰水産物製造販売組合の発足と東海道線の開通・三水産会社の設立、一、魚商団体を本格的組合に改組、焼津節の品質向上を目指して自主規制を実施、県で削除した戻り歩の条項を内規で補う、伝習所を設けて鰹節の改良に努力を傾注、県外から荒節移入・節削職工組合の発足、漁場の開拓が神津・三宅島に及び漁業紛争起る、二、東海道線の開通がもたらした混乱、東海道線が開通し東西の大消費地と直結する、汽車賃がもったいなくて静岡往復を歩く、気負いたって魚を送り大きな損害を出す、倒産する魚商人が続出
し組合弁償を中止する、三、水産会社が設立され個人仲買問屋は廃止、鉄道開通とともに城之腰に三星水産商社、三星水産商社を焼津水産合資会社へと改組、鰯ヶ島地区の総力を結集した駿南水産合資会社

資料毎の状態
番号 種別 場所(背ラベル) 状態 資料番号 本の場所
1 焼津図
郷土資料
焼書庫2F
(S 661)
館内利用の資料です 110685088
2 焼津図
郷土資料
焼郷土資料
(YZ 661)
館内利用の資料です 110685096
3 大井川図
郷土資料
大郷土焼津
(YZ 660 ヤ)
館内利用の資料です 610892382