管理番号 | 16 | |||||||||||||||
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質問 Question |
旧甲賀郡(甲賀市・湖南市)で本地仏(ホンジブツ)はいくつあるか。 |
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回答 Answer |
下記の6つが本地仏と記述されていました 「大日寺の木造薬師如来坐像」 「飯道寺の木造地蔵菩薩立像と木造十一面観音立像」 「永昌寺の木造地蔵菩薩立像」 「櫟野寺の木造弥勒仏坐像」 「大岡寺の木造薬師如来坐像」 「大日寺の阿弥陀如来懸仏」 記述は下記の資料に載っていました。 『甲賀を繙く』甲賀市教育委員会/編集(甲賀市教育委員会 、2006年) P25「大日寺の木造薬師如来坐像」 P63「飯道寺の木造地蔵菩薩立像と木造十一面観音立像」 『甲賀郡の風土と遺宝』 滋賀県立安土城考古博物館/編集(滋賀県立安土城考古博物、2007年) P42・43「大岡寺の薬師如来坐像(木造)」「大日寺の薬師如来坐像(木造)」 『1冊でわかる滋賀の仏像』文化財鑑賞ハンドブック監修会議/監修(サンライズ出版、2015年) P67「永昌寺の木造地蔵菩薩立像」 P46「櫟野寺の木造弥勒仏坐像」 P41「大岡寺の木造薬師如来坐像」「大日寺の木造薬師如来坐像(もと本地仏)」 『かみとほとけのかたち』栗東歴史民俗博物館(栗東歴史民俗博物館、1993年) P88「大日寺の阿弥陀如来懸仏 P79「大岡寺の薬師如来坐像」 P80「飯道寺の十一面観音立像」 |
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回答プロセス |
「本地仏」を事典、神社・寺院ノン辞典で調査 ⇒説明がある事典・資料が見つからない。 甲賀市史を確認 ⇒『 甲賀市史 第1巻』p478、479~、505~『甲賀市史 第5巻』p442~、460~、478~ の内容から神仏習合思想のひとつである本地垂迹(ホンジスイジャク)が関わっていると推測される。 本地垂迹について仏教辞典を調査 ⇒岩波仏教辞典 中村 元/〔ほか〕編 東京:岩波書店 P749に「本地垂迹説」の記述あり。 市内図書館で「本地仏」の意味が載っている本を検索 ⇒『大辞林(第二版)』(三省堂)p2402に「本地」の項に「本地仏-本地垂迹説により、神の本地であるとされる仏。菩薩。」の記述を発見 水口歴史民俗資料館職員に相談 ⇒歴史文化財課から『甲賀を繙く』、『甲賀郡の風土と遺宝』 、『新修石部町史 通史篇』、『近江日野町志 巻下』を紹介される。 『甲賀郡の風土と遺宝』 P42に 「かつての甲賀は修験の里として知られていた。また、その基盤をなしたのは、古代以来当地で育まれ、発展してきた神仏習合の文化である。~神社に神宮司を付説したり、仏像彫刻の影響から神像が像立され、あるいは本地仏が奉安されるなどの現象が広がりをみせる。衆生を救済するために、この世に仮の姿で現れるのが神であり、その本体、本地が仏であるという本地垂迹説が平安時代に成立すると、かかる傾向がさらに強まり、多彩な神仏習合美術が生み出されることになる。」とあった。 詳しくは歴史文化財課か資料館の学芸員に尋ねてもらうように伝えた。 後日、新たに受け入れた資料の中に関連のある『1冊でわかる滋賀の仏像』、『かみとほとけのかたち』の資料を発見。『かみとほとけのかたち』P68~71に「近江の神仏習合」について記述を発見した。 ⇒登録して提供。 |
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調査に利用したWebサイト(表示できない場合があります) | 現在、登録されているURLはありません | |||||||||||||||
調査に利用した資料 |
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照会先 |
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